2020-02-25 第201回国会 衆議院 予算委員会第八分科会 第1号
国交省の直轄事業では、私も霞が関にいましたからよくわかります、そんな、工事に随契、まあ、公募型プロポーザルとかいってオブラートをかぶせていますが随契ですよね、調査とか調査事業とかではよくありますが、大規模な工事に、公募型プロポーザルであれ何であれ、随契を適用するというのは聞いたことがないんですけれども、国交省、どうですか。ありますか、そういうの。
国交省の直轄事業では、私も霞が関にいましたからよくわかります、そんな、工事に随契、まあ、公募型プロポーザルとかいってオブラートをかぶせていますが随契ですよね、調査とか調査事業とかではよくありますが、大規模な工事に、公募型プロポーザルであれ何であれ、随契を適用するというのは聞いたことがないんですけれども、国交省、どうですか。ありますか、そういうの。
だから、その場で、安倍総理が来られているのに、自分が日本のカジノに出ていこうと思っているんだという事実関係すら言わなかったというのは非常に私は解せなくて、それがこの、安倍総理がさっき私の質問を繰り返されましたけれども、統合型リゾート施設は観光立国を目指す日本にとっては有益である点という非常にオブラートに包んだような公式答弁になっているんじゃないかなというふうに思うんです。
「あらゆる人々が活躍する社会の実現」という言葉は入っておりますが、これでは非常に、オブラートにくるんだような、政府の本気度が試される文言になっておりますから、もっとしっかりと明記をしていただきまして、しっかりとこの経済発展と社会的課題の解決ということを強く打ち出していただくことを要望いたします。 次の質問に移ります。
そこで気を使って、何かオブラートに包んだような言い方をするのではなくて、日本は今回のカンボジアの選挙について非常に懸念を持っている、制裁までいかないにしても、そうしたことを強く言う、そういう外交をぜひ実現していただきたいと要望させていただきまして、終わりにしたいと思います。 ありがとうございました。
この特別報告者の話、私はオブラートに包んでお話をしましたが、これは、不都合なことを見せたくない、そういう思いで隠しているんじゃないでしょうね。そうであったら、本当に私は、日本という国がここまで病んでしまったのかと残念でなりません。堂々と受け入れてください。それが日本の本当に誇りを取り戻すことだと思いますよ。ぜひ前向きに検討いただきたいと思います。よろしくお願いします。 以上です。
報告書の中で、特に、計上の仕方に特異性が認められる、これもオブラートに包んだ言い方ですよね。はっきり言えば、悪質なんですよ。 国交大臣、中に退職者から何からいろいろ含めていましたよね。大体、押しなべて言って、半分が水増しですからね、半分が偽装ですよ。皆さん、それぞれ人ごとのように思っていたらだめですよ、各省大臣。 国交大臣にお聞きします。
何でそんなオブラートに包んだようなことをするんですか。この点、強く指摘をさせていただきます。 それで、次、ちょっと質問の順番を変えまして、お手元にもう一つの資料を用意させていただきました。避難計画の話になっておりますので、先にそちらの方をやらせていただきたいと思います。 「避難計画の策定に関する主要国の制度比較」というものであります。
そんなオブラートに包んだ格好のいい話だけじゃなくて、アメリカ相手のこれはディールですから、やはりこっちも言うべきことはしっかり事前に表に向かって言っておくということでないと、これは押し切られる可能性がある、こっちの準備がないままに向こうのペースに引っ張り込まれる可能性があるという懸念を持ちます。
先ほど加須市の例で申し上げたんですけれども、やはり直接、あのときは市、あの事例では市ですけれども、管理者が施設を管理運営しているときと違って、やはりどうしてもオブラート的な部分が出てきてしまうということで、一枚、二枚先に現場があるというようなことになってしまいがちではないかなというふうに思っております。
先ほど、非常にオブラートに包んだ形の答弁をいただきましたけれども、PFI、PPPを進めていく、指定管理もそうなんですけれども、やはり、今まで働いていた人たちが、民営化になってしまう、民営化というかPFIになったときに向こうに運営を委託していく中で、その人たちの身分がどうなるのか、今後のそういう部署の採用がどうなるのかというようなことが非常に深く自治体の経営の間に絡み合ってまいります。
○井出委員 教科書が大変何か抽象的で、前向きと言えばいいかもしれませんが、オブラートに包んだ表現であっても、先生の中にはきちっと説明される方もいるかもしれません。また、いないかもしれませんので、一概に現状の性教育がいいとか、だめだとか、そういうことを申し上げることはなかなか難しいと思うんです。
それこそ先ほど言われたように強行採決なんて言われると、国民はすごく、えっ、どんどん知らぬうちに決まっちゃって嫌だということになるとやはり不安になるので、そこら辺の情報を広く、そしてわかりやすい言葉でやってほしい、オブラートで包んだ形じゃなくて。
それによって、いわば文書そのものをオブラートに包むことによって、しかし、そのおおむねの活動がわかるような表現方法をよく用います。 そういった意味からしますと、今、漆原先生がおっしゃられた、行政府が独走して立法府に対して責任を負わないといったようなことではなくて、そういったような意思疎通ができることが私は国家として極めて大事じゃなかろうかというふうに考えます。
その意味でいうと、今回の閣法の問題というのは、教育委員会制度は残したものの、実質的には首長の権限を強めている、実質は首長の首長による教育行政でありながら、形の上では教育委員会による教育行政が行われているという形になってしまっている、オブラートに包んだような形になっています。そのことによって、かえって責任は不明確になるというふうに思っています。 以上です。
あとは、最後の方に意識が低かったとか、それから、あと、自行債権という意識が低かったという抽象的な言葉に、オブラートに包まれた中で全体のものを総括しようとしている。これはこれで第三者委員会だからいいかもしれませんけれども、みずほの銀行として、頭取さんとしてそこのところの意識はやっぱりしっかり持ってやるべきだというふうに思います。
それから、あわせて、今まで田舎の生活の中でオブラートに包まれていたさまざまな課題があります。そういう利便性の問題とか、それから三世代同居している、こういう問題ですかね。避難することによって、公然と、高齢者と若い人たちが分かれて生活をしているわけです。若い人たちにしてみれば、自分たちの空間が新たにできて、ひょっとしたらば三世代よりも快適な生活と感じている人たちもいるかもしれません。
そして、もう一つ感じたのが、これは行政の特徴でもあるわけですけれども、非常に一つ一つがオブラートに包まれたようなお話でありました。 一方で、その聞き取りの後、遺族宅を訪問させていただきました。その場所で聞かれた一つ一つの具体的な内容に、私自身も涙を禁じ得ませんでした。
十五日までに必ず調える、ここの、調うように努めたい、全力を挙げてほしいということを記者会見でも総理は言われているんですが、これは必ずまとめるという意思をオブラートに包んだものなんですか、それとも、まとまらなきゃしようがないという、どっちなんですか。
専守防衛という用語は、あるときから、昭和四十五年からですけれども、この防衛白書の中に出てきて、さも我が国の閣議に諮ったような、オブラートに包んだような漠然とした概念で進んでいるんです。本来の軍事的な合理性の、軍事用語で言う戦略守勢であれば、戦略的に一定の期間防衛に特化した行動を行っても、ある一定の期間において戦術的に攻撃を行ったりいろんなオプションを捨てるものではないはずなんです。
その中で、その安定性を求めていくために、恐らく、経常収支という為替も含んだ対応でオブラートに包むというか、もっとマクロのところで対応していく中で政策協調ができるか、そういう流れの議論になったというふうに承知をしています。